我が家の夕焼けとコーギー犬

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夕焼け小焼け


子ども達二人が県外の大学に入り、その後、県外に就職。

パパは定年後の生活にも慣れてきたみたい。

シェトランドの血筋だった愛犬ポロンが亡くなって5.6年が経過して、

私はこのブログの存在を忘れる程、いろんなことに打ち込んで。。。。

 

現在、単身赴任で仕事をしているため、愛する佐伯には,

週のうち3日ほどしか帰っていないんだけど、帰った時にはいつも

別荘に来たのかなと思う程、自然の美しさに圧倒されている。

ここからみる夕焼けは美しい。

 

そして・・・・

家族の物理的なすき間を埋めるかのように、

2020年に飼い始めたコーギー犬の「パック」が、

私たちを癒してくれている。

 

パックは愛のエネルギーのバクダン。

パックからペロペロされると私のオキシトシンの分泌は促進されて、

いろんな人に優しくなれるような気がする。

 

佐伯の自然とパパ、そしてパックのお陰で、

私のムーミン谷生活はまだまだ続きます。

家族で書いた日記

パパと結婚したのが平成4年だから、もう23年が経過した。
11月21日が私たちの記念日。
良い夫婦の日(11月22日)にはあと一歩。
何か足りなかった、おしいなあ・・・・という夫婦。



昨日、結婚後に夫婦で書いていた10年日記が出てきた。

毎日の献立や、パパのツブヤキが意外に面白い。
きちんと埋まっている所は良いのだが、
空白やその断片から当時の自分を想像するしかない所がある。
それもまた面白い。



それよりも、その後に子ども達も交えて書くことにしていた5年日記や、
私だけが書いていた3年日記なども興味深かった。
忘れていた、とても大切なことが思い出された。



中でもごっこ遊びに2人の娘が興じている様を
記しているところが懐かしかった。


妖精ごっこ・・・単純にかわいい
税金ごっこ・・・ちょっと怖い遊び
       (税金を取りにくる人にお金を支払ってハンコを押す)
ごっこ・・・まりこ、ちえこ、など、子がつく名前の女子たちが、
       「○○ですわ」などとお高くとまった言葉でしゃべる遊び



そして、今回発見した娘の記述の中には、石ごっこなるものがあった。

みかちゃんも石ごっこでいっしょにあそびました」



一体それはどんな遊びですか?


10年近く経った娘に尋ねてみたが、全く覚えていないとのこと。


昔にかえって、尋ねてみたい。


昔にかえってパパや子どもを抱きしめてみたい。

変化している

この春、娘たちは同じ高校の1年と2年。

そして同じブラスバンド部の先輩後輩としての

新生活が始まる。



私も入れて、3姉妹・・・と口に出すと娘に怒られるが、
子ども達と過ごせる時間はあと少し。
田舎だから、高卒後は家を出ていくことになるのだ。



そんな中、今日はパパの本音を聞いて胸が苦しくなった。



娘たちが大きくなるにつれてパパは。
自分が家族から価値ある存在としてみられていないような、
そんな気になっていたんだ。



定年を来年に控え初老期に入っているパパ。
12も年の離れた若い妻と、孫のような娘たちに
これまでどれだけ心を砕いてくれたことだろう。



それなのに私は彼の気持ちを深く考えることはなかった。
私は自分のことでいっぱいいっぱいで。
パパは私の夫のはずなのに、いつの間にか私は3姉妹の気分。




夜中に偶然昔の写真を手にした。


子どもをしっかり両手に抱きかかえてにっこり微笑むパパ。
藤棚の下で、花の美しさが3人を引き立ててくれている。

あれから何年もの時が経った。

私たち家族は変化していた。




写真の中のパパは、本当に幸せそうで。。。
涙が出た。

366日

流れていたこの曲になぜか意識が向いて動画をチェックしてみた。

苦しい恋の歌。

何故だろう・・・HYのこの歌声に惹かれるのは。


断ち切ることなく苦しみに依存しちゃう、嗜癖ような恋。


そんな遠い恋の記憶を一生懸命思いだしている。


心を削って削って。。。。とにかく削って。。。。
心の芯をみるような、そんな恋。

さようなら そして・・・ありがとう 

下の娘も中学を卒業することになり、保護者として離任式の夜の会に出席した。

総勢30名程の先生方。


上の娘がお世話になった先生がまだいらっしゃる。
パパの母校であり、
パパのいとこがが娘の担任という学校でもあった。


そして私が15年前スクールカウンセラーとして着任し、7年間務めていた学校。


思い返せば、当初、スクールカウンセラーという未知なる存在への先生方の眼差しは厳しかった。
職員会議で「そんな人はいらない」と決議された後に
何も知らずに着任・・・そんな時代だった。
初めてのハリのむしろ体験。
当時子どもや保護者との触れ合いは、私にとってどれだけ救いだったか。



いつの間にか、先生方から親しく声をかけてもらえるようになり、
頼ってもくれるようになり・・・・一緒に子ども達の成長を見守った。
この街での15年の学校臨床はとても充実したものだった。



私が学校現場から離れた後は、先生方は娘たちをこの学校で愛情いっぱいに育てて下さった。

私も、娘を通して中学校を身近に感じることができていた。

でもそれも終わり。


一緒に仕事をしたことのある教頭先生からの、
「ファンでした」という言葉に、過去の様々なことが懐かしくよみがえり、
素直に嬉しかった。



そしてよく知らなかった先生が傍らにきて、ささやいてくれた。

「どう育てたらお嬢さんみたいな娘さんになるのかなあ。。。。
自分の娘はお嬢さんのように育って欲しいと思っています。娘さんのファンでした」と。
娘は、大人しいように見えるが人のために動き、いざという時の統率力があるらしい。



びっくりしたが・・・本当に嬉しかった。



保護者として先生へのお別れを告げる会のつもりだったが、
私のこの街での仕事やここまでの子育てにお別れを告げる会だった。


お世話になった人々に感謝の気持ちを伝えることができて本当に良かった。


未来へとアクセルを踏むエネルギーを頂いた。
子育てと仕事を頑張ったご褒美だと思った。



1人泣きながら会場を後にして、高校生になった2人の子どもを塾まで迎えに行った。



15年必死にやれば、形になるんだよって、
皆が教えてくれた。



私もそして子ども達も次のステップを歩いている。

私は頑張ってきた!!